伊藤郁女
日本文化にどっぷりつかりながら西洋のダンスを学んだ伊藤郁女は、ハイブリッドな独自の表現手法を編み出してきた。異文化と異言語とのさなかで、伊藤郁女は言葉にならないものや見えないものに心を留める。ダンステアターのように、演者や自分自身の体験をもとにして、舞台上でしかできないことを浮かび上がらす。そして身体がもつ知性を頼りに、直感や本能をさぐり、原動力とする。タブー、世界の終わり、死、愛、孤独といった本質的なテーマをもとに、自発的で鋭い、ありのままの言葉が呼び起こされる。そこから伊藤郁女ならではの、敏捷で激しい、必然的な動きが生まれる。そして観るものの感情を受け入れるために、身体を空っぽにすることで、内面から生まれた言葉と振付を手に入れ、私たちの動物性や人間性について問いかけていく。
「まず何よりも、空間を動かすことを私は追求しています。自分の周りの何もないスペースを、存在させようとしている。糸繰人形を操る、人形使いの考えに似ているかもしれません。誰が糸を引いているのか、どの部分がどの部分とつながっているのかが知りたい。一つ一つが螺旋のようにつながっていて、誰が何をしているのか分からないところが面白いんです。私が完全に空っぽになれば、それぞれの人がそれぞれのものを投影できる。人を導こうなんて思ってません。踊るとき、私は脳みそで考えるんじゃなくて、身体で表現しているんです。だから、あまり理屈っぽいメッセージは避けてます。」
「舞台は懺悔のようなものです。そのたび生まれて、そのたび死ぬようなもの。」